きょうのよはくが生まれるまで

はじまりは、子どもが生まれたこと

すべての始まりは、自分の子どもが生まれたことでした。それまでも仕事や暮らし、社会について考えることはありましたが、子どもが生まれたことで、「この子がこれから生きていく社会は、どんな場所なんだろう」と、これまで以上に考えるようになりました。

そして、そのすぐ後に訪れたのがコロナ禍でした。
学校や施設が閉まり、人と会うことや外で遊ぶことにも制限がかかり、子どもたちの日常は大きく変わりました。
社会全体が不安に包まれ、昨日までの「当たり前」が簡単に変わってしまうことも目の当たりにしました。

その経験を通して、子どもたちがこれからの時代を生きていくために、本当に必要なものは何だろうと考えるようになりました。


情報過多だからこそ、自分で考える

テレビ、新聞、インターネット、SNS。私たちは、昔とは比べものにならないほど多くの情報に触れられるようになりました。

便利になった一方で、正しい情報だけでなく、間違った情報や不確かな情報、誰かの立場によって切り取られた情報も混ざっています。同じ出来事でも、見る場所や立場によって見え方が大きく違うことがあります。

そのことを強く感じたのが、コロナ禍でした。

テレビで言っていたから。SNSで広がっているから。専門家が言っているから。周りの人がそうしているから。それだけで答えを決めてしまっていいのだろうか。

一度立ち止まって、「本当にそうなのか?」「なぜそうするのか?」「違う見方はないのか?」「自分はどう考えるのか?」と考える。そして必要であれば、自分から情報を探しにいく。

情報が少ない時代とは違い、今はむしろ、たくさんある情報の中から、自分で考え、自分で選び、自分で決める力が大切なのだと思います。

そのためには、知識や経験も必要です。
知ること、実際にやってみること、失敗すること、違う考え方に触れること。そうした積み重ねがあるからこそ、物事をいろいろな角度から見たり、少し離れて俯瞰して見る力がつき、自分なりの答えを出すことができると思います。

小さな出来事と大きな社会。畑と暮らし。食と健康。教育と生き方。一見すると別々に見えるものでも、視点を変えると、同じような構造やつながりが見えてくることがあります。そんなフラクタル構造のような見方も、自分の中では大切にしています。

また、直感も大切だと思います。
「なんとなく違う」「こっちの方がいい」と感じることがある。その中には、これまで見たり、聞いたり、読んだり、体験したりしてきたことが、自分でも気づかないところで積み重なっているものもあると思います。

そして、AIが当たり前になる時代だからこそ、知識を得ることだけでなく、自分の身体を使って体験し、自分の心で感じることも、これまで以上に大切になると思っています。

※フラクタル構造=小さな部分と大きな全体に、似た形や構造が繰り返し現れるもの。自然界では、木の枝分かれや葉脈などにも見られます。野菜でたとえると、ブロッコリーやカリフラワー、特にロマネスコのあの形です。

答えを覚えるより、自分で考える

教育についても、考えるようになりました。

学校には、読み書きや計算、社会の仕組みなど、多くのことを学べる大切な役割があります。もちろん、覚えることも必要です。

ただ、学びは学校の勉強だけにあるものではありません。
子どもにとって、遊ぶことと学ぶことは、本来それほど離れたものではないと思います。

虫を見つける。土を掘る。野菜を育てる。火を起こす。音を鳴らす。ものをつくる。失敗したり、うまくできなかったりする。

そこから、「なんで?」「どうしたらいい?」「もう一回やってみよう。」が生まれます。

正解を早く覚えることだけではなく、自分で疑問を持ち、考え、やってみること。
失敗しても、迷っても、途中で飽きてもいい。まずは一度やってみる。その経験自体に意味があると思っています。

大人がすべての答えを用意するのではなく、子ども自身が興味を持ち、考え、試してみる。その姿を見守ることも、大人の役目なのかもしれません。


人生は、体験の積み重ね

学ぶことや体験すること、「自分で考える」とは何なのか。
そんなことを自問自答するなかで、自分自身の生き方についても問いかけるようになりました。

人生で大切なものは何だろう。

健康。家族。大切な人。知識や教養。仕事。趣味。お金。地位や肩書。人によって答えも、その時々の状況によっても優先順位は違うと思います。

自分なりに考えていく中で、ひとつ大きく残ったのが、「体験」でした。
言い換えるなら、自分自身に時間やお金を使う「自己投資」に近いのかもしれません。

生まれてから今日まで、私たちはさまざまなことを体験しています。
初めて歩いたこと、誰かと遊んだこと、失敗したこと、好きなものを見つけたこと、働いたこと、家族ができたこと、旅をしたこと、土に触れたこと、何かに夢中になったことなど。

特別な出来事だけが体験ではありません。
家族とご飯を食べることも、友人と話すことも、野菜を育てることも、知らないことを学ぶことも、ぼんやり空を眺めることも、その人の人生をつくるひとつの体験です。

振り返れば、人生はそうした体験の積み重ねでできているのだと思います。

だからこそ、できるだけいろいろなものに触れ、自分で感じ、考え、選べる人生であってほしい。子どもだけではなく、大人にとっても同じです。

未来は突然やってくるものではなく、「今この瞬間」の積み重ねの先にあるもの。その一つひとつの体験が、その人の人生になっていくのだと思います。

時間は、過去から今、そして未来へ流れていくように感じますが、自分は「時間は未来から流れてくる」と捉える考え方が好きです。

未来にどんな自分でいたいかを思い描くことで、今の選択が変わる。
そう考えると、未来と今は切り離されたものではなく、つながっているように感じます。

今を生きるということ

何となく居心地のいいリズムに身をゆだね、大きな不満も満足もなく、何となく生きている。
でも、どこか心に穴が開いたような状態で、ふと「このままでいいのか」と不安になる時があります。

ある日、気づきました。それは、「今」を精一杯生きれていないということでした。
過去に引きずられかけたり、見えない未来に不安を覚えたり、考えごとばかりして目の前のことに集中できなかったり。

これは、俗にいう「暇」なんだと気づきました。
特に時間を持て余しているわけではないけど、うまく時間を使えていないし、貴重な時間を無駄に過ごしている気がしました。

「今」に集中していたら、過去や未来などあまり意識しないし、あれこれ考える暇なんてないはず。

必要なのは、暇ではなく「余白」であり、過去でも未来でもなく「今」が大切。

そう生きるためには、心や身体に余裕がないとできないと思います。
では、余裕のある暮らしって何なのか。

経済的な余裕も大事だと思います。でも、それより大事なのは何なのか。
自分に正直に生きること。好きなこと、やりたいことをすること。それも、とても大切だと思います。

ただ、それをするためには、何かを犠牲にする必要があるかもしれません。
ビジネスだと分かりやすく、本当にやりたいことをするために、利益を出すための仕事や事業が必要だったりします。

ただ、それは「今」ではなく、未来に気持ちが向かっている気もします。

突き詰めると、本質的なところは、「やりたい」と思った時にできる余白(環境)があるかどうか。
そのためには、お金や時間だけでなく、少しでも自分で暮らしを支えられる「自給力」も大切なのかもしれません。

衣食住が満たされれば、本来、人はとても幸せであるはずです。
いつしか衣食住は当たり前になり、便利の渦の中で、小さな幸せを感じにくくなったのが大きな原因なのかもしれません。

そして、今ではなく未来に「こうありたい」と理想ばかりを掲げ、その理想と今の自分を比べて、絶望感を抱く。これは現代社会の影響も少なからずあるのかもしれません。ただ、原因はすべて自分にあるとも思っています。

完全な自給自足は、正直、難しいと思います。
それでも、少しでも自分でつくれる力や、誰かと交換できる輪ができれば、暮らしにも心にも余裕ができると思います。

未来は「今」の積み重ね。
体験の積み重ねが、人生。


そして、農へつながった

20代の頃、自分にとって「バンド」は、日常から少し離れた場所でした。
作詞作曲、スタジオ、ライブ、レコーディングなど普段とは違う光景が沢山ありました。今振り返ると、そうした刺激や非日常の体験から、いろいろなことを感じていたのだと思います。

30代では「仕事」、そして起業に挑戦しました。
起業もまた、日常の延長にありながら、普通の暮らしとは少し違う緊張感や刺激のある体験でした。
自分で考え、決め、動き、その結果も自分に責任があり受け止める必要があります。仕事でありながら、暮らしや生き方に直結する大きな挑戦でもありました。

今でも、非日常の体験は大切だと思っています。
家族で旅行に出かけることも、そのひとつです。いつもの場所を離れ、違う景色を見たり、知らないものに触れたりすることで、日常では気づかなかったことが見えてくることがあります。

一方で、40代になって結婚をし子どもを授かり、そして「農」に出会い、少しずつ切り口が変わってきました。
特別な場所に行かなくても、日々の暮らしの中にも、余白や気づきはたくさんある。

家族と過ごすこと。野菜を育てること。季節を感じること。自分でつくったものを食べること。
そんな暮らしそのものの中に、以前とは違う豊かさを感じるようになりました。

そして、いろいろなことを考える中で、少しずつ自分の中で大きくなっていったのが「農」でした。

KiDS BASEから、「きょうのよはく」へ

最初は、子どもたちが遊びながら学び、さまざまな体験ができる場所や秘密基地のような遊び場をつくりたいという思いから、「KiDS BASE」という構想を始めました。

食、健康、運動、音楽、ものづくり、お金、防災、テクノロジー。
学校や家庭だけでは触れる機会の少ないことも、遊びながら体験できる場所をつくれないか。そんなことを考えていました。

そこから実際に畑を始め、自分自身が土や野菜から学ぶ中で、考え方も少しずつ変わっていきました。

子どもだけではないし、大人も、もっと遊んでいい。
もっと知らないことを学んでいい。立ち止まってもいい。失敗してもいい。そして、自分の暮らしを自分で考えていい。

そう考えるようになりました。
そこで生まれたのが、「きょうのよはく」です。

而今余白。
今に在り、今の暮らしに余白をつくる。
そんな思いを、「きょうのよはく」という名前に込めています。

最後に色々書きましたが、

完璧を求めすぎず、どちらかに偏りすぎず、その時々の自分にとって、ほどよいところを見つける。
そんなバランスが大切だと思います。

余白があれば、立ち止まることも、考えることもできる。

結局、言いたいのは、「人生、だいたいでええ。」

そんなふうに生きることを、目指しています。

つくっている人

きょうのよはくBASE」
きょうのよはく
屋号きょうのよはく
畑の人たくや
仕事Webデザイン会社を営んでいます。
農との関わり2022年に独学で野菜づくりを始め、2024年に週末農学校(SFC25期卒)で有機栽培を学ぶ。2025年には岡本よりたか氏の自給農セミナーに参加。その他、自然栽培や菌ちゃん農法などのセミナーにも参加し、現在は京都・大原野の自然農畑ラボクラブで月に一度学んでいます。
家族との暮らし家族との時間を大切に。
子どもの成長は早いので「今」を楽しんでいます。
好きなこと家族との時間・畑・キャンプ・バンド・ドライブ・読書・ボーっとするなど
座右の銘而今(今、在れ)
大切にしている自分軸・今・直感・余白・気づき・違和感・マイペース
心がけているシンプル(Simple is Better)・近道は地道に・ありふれた日常を当たり前と思わない
好きな言葉「人間は誰でも体の中に、100人の名医をもっている」(ヒポクラテス)
「明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ」(ガンジー)
「Don’t Think. Feel!」(ブルース・リー)
欲しいもの軽ワゴン車、キャンピングカー、山